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物語 「ラスベガスを創った3人の男たち no.1」


今日から4回に渡って「ラスベガスを創った男たち」の物語をお送りします。
今では、カジノと言えば、ラスベガス。ラスベガスと言えばカジノ。
と言うくらい世界的に有名になったラスベガス。

しかし、現在の華やかなラスベガスもこの3人がいたからこそできたものです。

それでは、「ラスベガスを創った男たち」の物語をお読みください。



■ラスベガスの誕生

今から約170年前、現在のラスベガスは辺り一帯を砂漠に囲まれた何もない荒れ地でした。
 
1829年、スペインの探検家 アントニオ・アルミホが砂漠の中にオアシスを発見し、その地にスペイン語で 「草原」 を意味する 「ラス・ベガス」 という名をつけたのが始まりです。

当時の人口はたったの25人でした。


19世紀後半、全米はゴールドラッシュに沸き、一攫千金を夢見た多くの労働者たちがカリフォルニアを中心としたアメリカ西海岸へと押し寄せました。

そして、西海岸へと渡る最後の難関 ロッキー山脈を越える手前で一休止をとったのがラスベガスでした。

しかし、当時のラスベガスには娯楽が何もなく、宿泊者たちは酒を飲みながらわずかな持ち金を賭けてカードゲームを楽しんでいたと言われています。

これがギャンブルの街 「ラスベガス」 誕生の瞬間です。

そして、ユニオン・パシフィック鉄道が開通した1905年、ラスベガスは正式な「町」となりました。

その後、一時はラスベガスのあるネバダ州でもギャンブルは非合法となりましたが、カジノを含めたギャンブルを完全に禁止することは難しく、地下に潜ったマーケットはマフィアの格好の資金源となりました。

そんな中、第一次世界大戦後に経済恐慌が起き、さらには1929年の株価大暴落による世界恐慌で州の財政が苦しくなると、次第にギャンブル合法化への気運が高まってきました。


そして、1931年にネバダ州は、財源の確保のため総括的なギャンブルを法制化し、これを機にラスベガスは一大カジノシティへと発展することになります。

さらに、この年ラスベガスの近郊に建設が開始されたフーバーダムはラスベガスに劇的な発展をもたらしました。

それから80年、現在の不夜城「ラスベガス」は、ある3人の男の出現によって創り上げられるのです。


・・・続きは次回


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